脳にデキモノできました。 -2ページ目

病院に行く 

病院に行ってみる。

 

脳にデキモノできたから何とかしてくれと、白衣の受付嬢に相談すると、

外科に行くことを勧められる。

 

う~む、できれば脳外科に行ってみたいのだが、相談した手前外科の受付を済ませる。

 

CTスキャンなるものを受けたいんす。できればレントゲンも撮ってみたいんす。

外科の診察室の前でダダをこねていると、外科でCTスキャン受けたきゃ明日来いや

となったので、明日も懲りずに行ってみようかと思います。

 

自分の言いたいこと言うのは、簡単なようで難しい。

伝えたいことほど、伝えにくく伝わりにくい。

 

前にも話に出てきた映画監督の柳町監督、幸運にもお話しする機会を得るのだが、

話に説得力があるだけでなく滞りなく言葉が出てくるのには、感銘を受ける。

これは、一見簡単なようで難しい。

 

監督の映画も、一見簡単なことをしているようで、それを再現しようとなると難しい。

一つの絵を織り成す構図と、動的な人の流れと静的なストラクチャーの計算。

 

監督の才能やセンスを盗むことは、到底私にはできないが、真似るべきはその洞察力。

日常の風景を、いかに注意深く観察するか。

この鋭いインプットが、空間を埋めていく創作時のアウトプットに繋がると思う。

 

なんでもない風景や、見慣れていて見過ごしがちになってるものに、

新しい価値を見出すことも人生の彩りなのかもしれない。

 

 

久々に警察に捕まってみる

警察にもいろんな奴がいて、同じ話を振っても様々な答えが返ってくるもんさ。

 

警察に厄介になるたびに、いつも同じ質問をするのださ。

例えば、原付の二段階右折についてとかね。

彼らは、自分達の意見を実に雄弁に語ってくるれよ。

 

凡人なわたしには、どの意見を信じていいのやら皆目見当もつきませんけどの。

 

他の警官はこう言ってたよと引き合いに出すものなら、骨を盗られた犬のようにかみついてくんのよ。

つまり、彼らは自分達こそ本当の正義だと疑ってないんだろうね。

教師という人種もそうなのだが、自分のことを正義だと疑ってない方達は、人をしかる時、

なんの愛情の裏打ちもない叱り方をするもんさ。

 

私のような元言語障害児は、よく教師に無実の罪で怒られたものさ。

友達が、冤罪を証明してもなお、自分達の間違いを受け入れない教師達に辟易したさ。

彼らから学んだことは唯一つ。正義面してる権力を疑えってこと。

 

悪と正義が紙一重だってことを学校教育の初期で身をもって知ったことは幸運であり、

不幸なことでもあったさ。

だって、正義と悪を二つに分けたら、残るものは何もないと思い込んでいる人たちは、幸せそうな顔してるもん。

 

60年代に投石されてた権力者達は、分かりやすく理不尽なことしてたんだよきっと。

今の権力者達はさ、分かりづらく理不尽なことすっからさ怒りの矛先が見つかんないよ。

 

そんなこんなで、1キロ近くバイクの後をつけて来たパトカーにサイコーの敬意を示す走りをしていたら、

あえなく御用となりました。

どうやらわたくし、一時停止をしてなかったらしいよ。

全国の白バイ隊員の方にも教えてあげなくちゃね。一時停止は、足をつけて止まりなさいとね。

 

なんだかんだで、人生二度目の免停確実で、今までの未払いも含め二万円はいくだろうとふんでいるのですが。

前回はなぜだか、よくわからん裁判に呼ばれ、行ってみたら検事ぽい奴に同情を買われつつ、払えんかったら刑務所行きだよーと勧められた気が。

行く気満々で、友達とも差し入れとか、出所祝いだとかのイベントしようぜって盛り上がってた矢先、親に真剣止められてあえなく断念したが、またこの機会がまわってこようとは?

 

あー、そういや今回捕まえにきた警察官は、なぜか私に「君こそ警官になるべきだよ」ってしきりに勧誘してきてたなぁ。(捕まえといてそりゃないだろがよぉ。)

金がないから、大学も辞める勢いだから無理無理って断ったけどの。なんか挙動がおかしんだよね電話しようかとか言ってくるし。

ほんと、警察官もいろいろだねぇ

 

まぁ、比較的いい奴だったよ。警部補だし?

 

 

人生ヤメル前に、大学を辞めさせられるなりぃ

やむなき理由により、大学を辞めることになりそうです。


そこそこ名の通った大学ですが、辞めることにあまり未練はないっす。

むしろそこで出会った人達や、彼らとの交流こそわが誇りでございます。



ガキの頃、言語障害とかいうものがありまして。

それはそれは気だるい毎日と、なんかできちまった世界観とを行ったりきたりしてたんす。


なまじ、絵とかで県の美術館に貼られたりして、言葉によらない表現ナリィ

とか思ったりしてたもんだから救いようがございません。はっきり言って追い詰められてました。


社会的弱者特有の人恋しさと、人一倍めんどくさかった人付き合いに挟まれて、

言葉によらない表現を模索とか何とかで大学行ってみたものの。


周りは更に突き抜けてました。なにもかも。大学がツマンナイとか言ってる人には、

ツマル人間と付き合ってみることをお勧めします。

今まで、人生の汚点だと思ってたことが、全て長所に変わりました。

社会のあっち側に行っても、帰ってくる土壌が大学にはあります。


心を解き放ち、魂を開放できた回数は人生史上最多でした。


社会から、ちょびっとズレた人生を歩んできて、人間社会で”普通”を求められたので

ヒトというものをそれなりに研究してきました。

社会的弱者として、滞りなく生活するためのヒトに対する知識がそこはかとなくあります。


そこを踏まえて言わせて頂きます。

大学で出会えた師や仲間との出会いは、肉体に想像を絶する痛みを与えても得難い

奇跡でした。

それらに比べたら、学歴を捨てることなんて些細なことよ。


大学で授業を教わった、柳町監督。私のような凡人では、話すたびに迷いが生じる天才なのだが。

その監督が十年ぶりくらいに映画「カミュなんて知らない」を撮った。

久々ぶりのいきなりで、カンヌ映画祭行き。さすが天才。

まさに、天才は忘れた頃にやってくるもんだなぁと感じ入ってみる。

柳町監督が、国内の配給のためにお手伝いを募集しているという記事を発見。

そのトラックバックを載せておきやす。

宮崎アニメで、好きなキャッチフレーズなんですか?

一人暮らしをしていると、寂しさのあまりなんとなくTVをつけるものだ。

今日もふとTVをつけてみると、宮崎アニメ「紅の豚」がやってるではないか。

 

別れた彼女と行った、三鷹の森ジブリ美術館…

入場時にもらえる入場券、そこには映画のフィルムが貼り付けてあるのだが、

オイラのやつには「紅の豚」のワンシーンが。

 

そこには、飛行艇を運ぶトラックを後ろから捉えたモノだけが…

人物ナシ、飛行艇ナシ、トラックの荷台のみ。

分かる人にしか分からないモチーフ。オイラの人生の縮図。

つまりそういうことなのである。

 

初めて買ったCDは、宮崎アニメのベスト版。

そこに収められている「紅の豚」のピアノ曲に惹かれ、楽譜なんて読めないからさ、

一音一音確かめながらおもちゃのピアノを叩いたもんだ。

子供が何の気もなしに蹴る缶の音の心地よさ、それに似た音の旋律。

 

「紅の豚」で一番好きなセリフは、「あのアドリア海の夏が懐かしい」で、

キャッチフレーズの「カッコイイとは、こういうことさ」より好き。

ちなみに、宮崎アニメで一番好きなキャッチフレーズは、

魔女の宅急便の「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」かな

頭に異物ができたけど、そこそこオイラも元気です。

他の人は、どのキャッチフレーズが好きなんだろう。

 

私が生まれ育った環境は、裏山に遺跡があり、庭には2メーター位の蛇がおったり、

家は江戸時代ぐらいに建てられた木造ワラブキ屋根で、入ってはいけない部屋があったりと、

田園地帯のド田舎でしたが。

となりのトトロの「忘れものを、届けにきました。」は、リアルに怖かったなぁ。

頭にできた異物をそれなりに考えてみる

頭に異物ができたからといって、日常に変化があるわけではなく。

日々の生活を消化試合のごとく過ごしてみる気取り。

だけどこの小さな異物が「死」という非日常を、あたかも野良豚にエサを与えたがばっかりに付きまとわれるがごとく、投げかけてきやがんのよ。

 

熱を出した人類が、健康体の尊さを再確認するように、少しばかりあの世に近い青二才が、生きることの意味を考え人生に彩りを加えてみるかの。

 

やれやれ、難しいことやら暗いことなんぞ性に合わんので、この身に起きたことに明るくPOPなキャッチコピーをつけてみようかな。

「なんでもないようなことが、幸せかもよ」…なんかどっかで聞いたフレーズだが、しっくりくるのでこれでいこう。日常の些細な出来事とそれを織り成す非日常、棺おけに臭い足を半分突っ込んでみるとつまらん事に目ざとくなったりするもんです。

 

とりあえず、病院に行くのもなんだし、突然何も残さず坊主の世話になるのもやりきれないので日記でもつけてみさぁ。